革命と血

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血の流れない革命はおそらくありません。誰かの血が流れることで革命が始まり、革命を達成する為にまた誰かの血が流れます。

今回は、そんな「革命」と「血」について書こうと思います。

私たちは、民主主義が保障された社会に生きています。しかし、さまざまな場面で民主主義は否定されて続けてます。それらの不条理によって、時として人は深く傷つけられ、人生を台無しにされることさえあります。多くの場合、後に「革命」と呼ばれるような動きは、そのような不条理をきっかけに始まります。そんな時、私たちが肝に命じておかなければならないのは、その戦いはあくまで民主主義を実現するための戦いでなければならず、戦いの手段は民主主義に基づいたものでなければならないということです。

しかし、残念ながら、それらの戦いが被害者側の「悲しみ」を上回る「怒り」という感情をきっかけに始まることが多いため、戦いの中で目の前の民主主義を見失ってしまうことがあります。その原因の多くは、戦いに参加するそれぞれの人たちの「革命」のために流すことができる「血」の量の違い、つまり払うことができる犠牲の大きさの違いです。

「革命」に参加する人たちの考え方はそれぞれです。革命を成功させるために自身の全てを捧げられる人もいれば、払うことができる犠牲に限りがある人もいるでしょう。そんな時、前者は後者に対してより多くの犠牲を求めたくなるのでしょうが、決して「より多く」を強要してはなりません。なぜなら、その強要こそが民主主義を否定する行為だからです。

犠牲が大きいのか小さいのかは、犠牲を払う人の心の中にある物差しでしか測ることはできないのですから、それぞれがそれぞれの事情に基づいて払う犠牲の大きさを決めなければなりません。そのような他者への配慮が損なわれた「革命」は、たとえ目的を達成したように見えても、本当の成功、つまり本当の民主主義の実現にはつながらないでしょう。

そのような甘い考えでは何も達成できないと考える人もいるでしょう。しかし、そのようにして民主主義を育んでいくことでしか、本当の民主主義は実現はできないのです。

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次の日本語記事は、”偽りの「サステナブル」”です。

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